「戦争はあってはならないんです。」

戦争に正論はありません。
自衛の為の正当防衛、抑止力ゆえの武器所有も
簡単に戦争に結びつきます。

結局、武器を投げ出して、いつも白旗を揚げて
いる人が戦争にならないのです。

真理であるイエス様の教えはこうです。

「悪人に手向かうな、
 敵を愛し迫害するもののために祈れ!」
              マタイ伝5章

と仰せになりました。

もし誰かが嫌な事をしてきたら、
何もせずに殺されるのを黙って耐えろ
とは言っておられないのです。

さらに、
「愛を持って、相手の為に祈ってやれ!」
と言われるのです。

これは非常に難しい事です。
かく言う私も同じです。
それでも、感情はそうはいけません。
感情で行動すれば争いに結びつくのです。
感情ではなくて神の言葉に従おうと
することが信仰になります。

その信仰の本質は、
もし敵から不当にも害を被り、さらに
命まで脅かされた場合、神が必ず保障して
くださると言う安心から来るものです。
それは、神の本質は愛だからです。
神は私を愛してくださっていると言う
確信の故です。
愛する者たちよ。
 自分で復讐をしないで、
むしろ、神の怒りに任せなさい。
何故なら、
 「主が言われる。
 復讐は、わたしのする事である。
わたし自身が報復する。」
と書いてあるからである。

       ローマ人への手紙 12:19
それは、たとえ自分が不当のゆえに死んだ
としても必ず、永遠の命、よみがえりの命
を保障してくださると言う神の約束を信じる
信仰から来ます。

これは、神から送られる聖霊様によって可能です。

キリストも不当の故に十字架につけられました。
この不当がなされたのは高慢から来るものでした。
それは、神様の救いの計画を実行する
ための梃子になったのです。
神様の計画と目的を行うために、
すべての不当を甘んじて受け入れ、
キリストが死ぬことによって達成しました。

キリストの死は、私たちの罪悪に赦しを与える
身代わりとなったのです。
キリストの死は無駄死にでは無かったのです。

それゆえ、神はキリストを蘇らせ、復活させて
私たちにも蘇るのだと宣言し、約束し、実例を
見せたのです。

この故に世界中の多くの人が神を信じています。

残念ながら、世界の多くの宗教者は、
神様の言葉を真剣に捕らえていません。
感情のままに生きています。

聖書に
「自分の命を救おうとするものはそれを失う」
とあります。自分の正当防衛は罪悪につながる
危険があるのです。
しかし、神様の裁きは正しく、防衛は絶対なのです。
自分の防衛を神様に委ねる事が正しいのです。

この世界に働く悪魔は人間のプライドや感情を
利用して人間をコントロールします。

これに打ち勝つなら平和を来たらせます。
感情やプライドで生きるのでは無く神の言葉によって
生きれば平和を見ることができるのです。

もう一度言います。
「手向かわず、愛を持って、相手の為に祈れ!」

聖書は人間の正しい取り扱い説明書です。
誤った読み方をしたり、無視して生きれば
使い方を間違って壊れていきます。

しかし、神様の計画は未来に戦争が起こる事として、
戦争をやめさせることをしません。

その理由は人間が心から神を信頼し、
神の言葉によって生きることが正しいのだと
悟るためです。

悪を放置するのは、神の愛を信じることがいかに
大切かであるかを悟らせるためです。

聖書は、神を無視して自分の思いで生きることを
「罪」と言います。

その罪の結果、自分の感情やプライドで生きる結果
争いが起こります。しかし、神はそれをなすがまま
にされているのは、本当の神の国を完成させるため
のテスト期間であるからです。

神様が争いや問題をそのままされるのは、
本物と偽者をはっきりさせる為の手段だと言えます。

永遠の命の約束を受け入れた人はこれを悟ることが
できます。そうすれば、この世の問題は何の問題
でもなくなるのです。

戦争が実際にあろうとも、

イエス様を信じる人はこの世の勝利者になるのです。

世界的な戦争だけではありません。

日常の隣人愛が大切なのです。そこから世界平和が生まれます。

神を愛するとは、神の戒め(相互愛)を守ること、

世に勝つものは誰か?
イエスキリストを神の子と信じる者です。

           ヨハネ第一の手紙5:5