2014年1月19日のメッセージ

真の礼拝者シリーズ

①汝の敵を愛せよ!

半澤直樹の人気はすごかったですね。
私も毎週楽しみに見ておりました。

「やられたらやり返す、倍返しだ!」

というセリフが決まり文句になってますね。

しかし、聖書で神様はこう言われました。

「悪人に手向かうな。右の頬を打たれたなら、
 他の頬も出してやりなさい」
「汝の敵を愛せよ!」「相手を赦してやれ!」

全く、違う事が語られます。

果たしてこんなことができるのでしょうか?

神様が全てご存知で,神が必ず報復してくださ
ると信じる事で可能になります。やられっぱ
なしで無く、必ず最後には勝利できるのです。

まず、神が真実で本当に信じる事です。
人間が造った神ではなく、人間を造った神が
居られるという事実です。それは、体験しな
ければわかりませんが、目で見える形ではイ
エスキリストが神の約束を明らかにしてくだ
さいました。なおかつ目で見えないですが、
求めるものには聖霊を各自に送ってください
ます。聖霊を受けた人間しかわかりません。
聖霊によって更に神の愛を体験できます。

物理的にもこの神の教えは素晴らしいことです。
それは最近、脳科学が進み分かってきたことで
すが、脳は主語が判別できない部分があるそう
です。ですので、相手を憎んだり、恨んだり、
相手の不幸や失敗を願うことや発言は自ら嫌な
気になってしまうのです。逆に相手の幸せや成
功を祈ると自分もそのように感じるそうです。
相手を愛する事はまさしく自分を愛している事
になっているのです。

私も、めぐみのメッセージを語っていると自分
が恵まれてきます。役得ですね。

だからイエス様も

「自分を愛するように隣人を愛しなさい」

と言われたのです。これは人間の脳システムに
最適なアドバイスになります。素晴らしいです。

また時には神様はこの世に悪を敢えて放置する
ことで神の義と愛を現してくださいます。そし
て私達を神の子として成長させてくださいます。

半澤直樹の第4話で、支店長の悪を見抜きギャフ
ンと言わせました。しかし、半澤はこの支店長に
も愛する家族生活がある事を見たのです。半澤は、
自分の家族を潰された悲しみを持っています。そ
の悲しみを自分と同じように味わわせたくないと
思ったのでしょう。その支店長の家族のゆえに赦
したのです。その結果、支店長は完全に修復され
ました。

神様も、悪人を裁くのではなく修復する事を望ん
でおられます。人は生まれつき悪人などおりませ
ん。神は人を良き者としてお造りになりました。
しかし、この世の欲望が人を悪人に変えてしまう
のです。この世には悪魔の誘惑があります。
しかし、その誘惑に誘われるのはその人の意志に
よります。人には、間違った意思をもたぬように
神様の戒めが必要なのです。

悪魔はもともと神に仕えていた天使です。その天
使が神に反抗して自分も神になりたいと、人を支
配しようと企んでいるのです。

欲望を持って人を操る悪魔に対しての戦いは、
私達被造物が神様の愛を信じて従う事が如何に大
切なことかを知らしめる事なのです。

  だれに対しても悪をもって悪に報いず、
  すべての人に対して善を図りなさい。
   あなたがたは、できる限りすべての人と
   平和に過ごしなさい。
   愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、
   むしろ、神の怒りに任せなさい。
  なぜなら、「主が言われる。復讐はわたしの
  することである。わたし自身が報復する」 
   と書いてあるからである。
   むしろ、「もしあなたの敵が飢えるなら、
   彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。
   そうすることによって、あなたは彼の頭に燃え
   さかる炭火を積むことになるのである」。
   悪に負けてはいけない。
   かえって、善をもって悪に勝ちなさい。
  

                ローマ12:17~21   

 

 

 

2014年1月12日のメッセージ

真の礼拝者とは

真の礼拝者たちが霊とまことによって
父を礼拝する時が来ます。今がその時です。
父はこのような人々を礼拝者として求めて
おられるからです。
          
       ヨハネによる福音書4:23

この聖書の箇所はサマリヤの女性がイエスと
出会った時に女性が質問した時の答えなのです。
「本当はどこで礼拝をすればいいんですか?」
の答えは、場所は関係なく父を礼拝するときが
来ます。それは今です。と語られたのです。

サマリヤの井戸の前でそう語られたのです。
そこでイエスさまは真の礼拝者とは霊と誠に
よって父を礼拝するものを求めておられると言
われ、それが今来ていると言うのです。

このサマリヤの女性は罪人だとよく解釈されて
いますが、それはさておきこの女性は信仰が
あったのは確かなのです。キリストの到来を待
ち望み、それを分かるようにしてくださると信
じていたのです。その上に真の礼拝を捧げたか
った故あのような質問をしたと思われます。

ここで言う礼拝とはギリシャ語でプロスクネオ
で足元にひれ伏して謙ってキスをするような態
度の表現の意味です。心から真剣に神の前に出
ると言うことです。皆さんはどのように礼拝に
臨んでおられるでしょうか?私は礼拝の成功は
まず讃美と祈りにあると考えます。

また別の箇所では使徒パウロが礼拝の言語は、
ラトレイヤと言うギリシャ語で書かれておりま
すが、「仕えると」言う意味もあります。英語
では礼拝をサービスと言いますが、これはラテ
ン語のサーバス(召使いの意)から来ています。

礼拝者というのは、その時その時の礼拝の時間
に儀式に参加したら良いというものでは無くそ
のお方に仕える姿勢の人間を言います。もちろ
ん、礼拝そのものも神様に向かう大きな手段で
す。疎かにしてはいけません。しかし、決定的
に私たちの人生そのものが180度変えられて
しまうのです。生き様が全く変えられるのが礼
拝者になるのです。これが救われた者の姿勢に
なるわけです。

このサマリヤの女性はキリストと出会えると言
う念願を果たしたわけです。純粋なユダヤ人と
見られずにさげすまされたサマリヤ人もメシヤ
(ギリシャ語でキリスト)を待ち望み霊とまこ
とで真実に神の救いを待ち望んでいたのです。

果たして、このサマリヤの女性は真の礼拝者と
して成功し喜びに満たされたはずです。この女
性は喜びのあまり多くの人々にメシヤが来たの
だと伝えた回ったのです。

イエス様に出会うことは、待望の救い主に出会
うことであり、この喜びが真の礼拝者に変わる
のです。この世の全てにかけがえの無い価値を
得た喜びを黙っておれずに伝えるのです。

最後に使徒パウロはこう言います。

そういうわけですから、兄弟たち。私は、
神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いし
ます。あなたがたのからだを、神に受け入れら
れる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。
それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

         ローマ人への手紙12:1

私たちは、生きるも死ぬも主の為なのです。何
人も神の法則から抜け出る事はできません。そ
れを悟りそこに自分の価値を見出せば真の礼拝
者として、父の戒めを守る者を父は更に祝福さ
れるのです。

戒めとは、

「私があなた方を愛したように、
 あなた方も互いに愛し合いなさい」

救われた礼拝者はまずこの戒めを守るのです。

 

 

2014年1月5日のメッセージ

この世の勝利者となるために

わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、
あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。
あなたがたは、世にあっては患難があります。
しかし、勇敢でありなさい。
わたしはすでに世に勝ったのです。」

                  ヨハネによる福音書16:33

皆様、2014年あけましておめでとうございます。
今年は徳川幕府禁教令が発足されて400年目になります。
40、400、4000と言う数字は聖書では一つの
節目です。苦難の中からの開放される時だと信じます。
2014年日本にとって素晴らしい年になれるようにお祈り
致します。

さて、私たち人間はこの世で生まれた瞬間に死ぬことが
定まっております。これは新しい命が生まれたと言う
素晴らしい事柄なのに悲しいことに同時に死が宿命と
なります。人間は死ぬために生まれてきたのか?そんな
ことなら最初から生まれなかった方が良かったと後悔する
人も少なくないはずです。私もそんな思いになった事は
確かにあります。

人はこの世に生まれたからは死と言う問題に勝てないの
です。この死というマイナスの力が私たちにまとわり付い
ています。

確かに肉体の死はクリスチャンであろうとなかろうと
全ての人に与えられますが、イエスキリストは十字架に
かかった後3日目に朽ちない体に甦ったのです。
神の力で、死という力を無効にされたのです。

肉体の死後に永遠の命を保証されたのです。

私たちは自分を守るために、罪を犯すことになります。
獣は、誰かを犠牲にして自分を活かそうとします。
これを弱肉強食と言います。進化論を信じる人は人間も
動物と何ら変わらない存在と言う事に考えます。そうな
れば、自分を守るために人を蹴落とすことを正当化させ
ることになります。事実そう信じて殺人する人が多い
のも事実です。

殺人しなかったとしても、人は自分を生かすために罪を
犯し続けてしまうものなのです。多くの偽りは自分を
守る故です。

しかし、どうでしょう。永遠の命が保証されるというのなら、
その命を保証してくださる方、その命を実証してくだ
さった方の言葉を聞き入れてみないでしょうか?

私は幼い頃、ジェットコースターが怖くて絶対に乗りま
んでした。しかし大きくなってジェットコースターは、
絶対安全な乗り物だと確信してからスリルを楽しむ事が
できるようになったのです。命の保証の確信を得たから
乗る事ができるようになったのです。(ところが事故が
起きてからは怖くて乗ったことが無いです。)

その命を保証してくださる方は、万物の創造主、
その方が主イエスキリストです。その方がおっしゃる
には「私を信じ、私に従いなさい」でした。
主イエスに従うとは、主イエスの言われた事を行うことを
言います。その御言葉は

「互いに愛し合いなさい」

これだけです。

イエスを信じると言いながら、人を憎んでいるなら
それは自分を偽り者と定めていることになります。
主は敵をも愛せよおっしゃいました。

愛するとは、人の機嫌をとることが愛することではあり
ません。人のいいなりになることでもありません。他人
に調子を合わせると言うことでもありません。YESマンに
なる事ではないのです。主イエスの御言葉は

「自分がしてほしいと思うことを他人にもそうしなさい」

と言う事です。人によって基準は違いますが、積極的に
人に働きかけて行くという事です。これが黄金率になり
ます。お節介な人は嫌われるかもしれませんが、それでも
良いと思うことをすれば必ずその人の心が伝わるのです。
故に、私もイエス様の福音を伝えております。

この戒めを守る人がすなわち神を信じる人の行動になる
わけです。この世の死の力を超えて生きる力がここに
あります。

互いに愛することで、命を勝ち取る。「命の保証」その
平安を得る事が全ての問題に打ち勝つ強さになります。

歌の文句ではないのですがまさしく

「愛は勝つ」なのです。

「万物は神から出で、
 神によって成り、
 神に帰するのである。」

これは聖書ローマ書のパウロの言葉です。この絶対の法則が
あると知るならば、愛する事が絶対的な命の法則となるのです。

最後にヨハネの第1の手紙5:2~5

 5:2 私たちが神を愛してその命令を守るなら、そのこと
   によって、私たちが神の子どもたちを愛しているこ
     とがわかります。
 5:3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。
     その命令は重荷とはなりません。
 5:4 なぜなら、神によって生まれた者はみな、
     世に勝つからです。
     私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
 5:5 世に勝つ者とはだれでしょう。
     イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。

今年、あなたにとってこの御言葉を実践する事によって
命と平安を確保されること心からお勧めいたします。