2013年10月28日のメッセージ

「voyager」

「遠い旅人」という意味ですが、

私達はいったい、何処から来て、何のために生き、
何処へ行こうとしているのか判らない
行く宛の無い人生の旅人です。
多くの人は、彷徨い続けています。
行く先の解からない旅ほど虚しい事はありません。
生きる目的や価値観が無く生きているのです。

聖書にはその答えが有ります。私はこの事実を知ったとき
目からウロコが落ちました。全ての疑問が解けたのです。
聖書から出る言葉が嬉しくて嬉しくて必死に勉強しました。
聖書を宗教書としてではなく、神の真実の言葉として
受け入れることが出来たのです。

さて、アリスの最新のアルバムが今年出ました。
アリスの中にある1曲です。「ボイジャー」という曲です。
2番目の歌詞がすごいです。替え歌はしていないです。
谷村新司さん作詞、矢沢透さん作曲です。

クリスチャンの方ならこれが聖書的であると簡単に判ります。
谷村さんに信仰があるかどうかは、判りませんが、
信仰が無いとなかなか書けない内容だと思います。

2体に隠された 全ての秘密の答えは
小説よりも 映画より深くて
その指 その数にも 瞳の形も色にも
全ての答えがスバルを超えてく

雨は身体を巡り 流れ海へと還る
We are voyager まばたきの間に
We are voyager 駆け抜けてゆく 全ては 旅の物語

きっときっときっと気付ける 不思議は無いんだと そして
きっときっときっと見つける 旅のその意味その理由

水は母と呼ばれてやがてマリアに変わる
We are voyager 始まりはイブ
We are voyager アダムの運命 全てが 旅の物語

きっときっときっと気付ける 不思議は無いんだと そして
きっときっときっと見つける 旅のその意味 その理由

そして、きっときっときっと見つける マリアの意味は始まり。

と言う歌詞です。

「万物は、神からいで、神によって成り、神に帰するのである。
 栄光がとこしえに神にあるように、アァメン。」
                  ロ-マ人への手紙 11:36

「ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。」
                       伝道の書12:7

私達人間は肉体は土のチリ(窒素・リン・カリウム)
で造られました。肉体が無くなれば霊魂だけが残ります。
しかし、その霊魂はなくなりません。授けられた神に帰るのです。

聖書では私達人類は旅人、寄留者とあります。ボイジャーです。
行く先は、神の国です。私達は神の国を求めて生きる旅人です。

しかし、残念ながら、罪のある霊魂は神のもとに帰れません。
罪を赦されたイエスキリストの十字架を通して神の愛を受け、
信じるなら、神の国に行けるのです。
神の国への道はこれ以外にはありません。

人間自身の善い行いでは、残念ながら神の国に行けません。
キリストの十字架を知り、神の愛を受け入れる人だけが行けます。
不公平と思われるかもしれませんが、これが最善の公平なのです。
また、創造主のお心なのです。神の愛を知った者だけが
神の国の住人になれるわけです。

この方法だけが、誰でも信じるだけで救われる道になります。
神の国では、誰も誇れず皆が公平になる事で神の愛で平和になり
そして、信じた後の善い行いが、その信仰の姿結果となります。

その救いを知るなら、私達の旅はより心強いものとなります。

処女マリアを通して受肉降臨した神の御子イエスキリストの
十字架は、神の一方的な愛であり、天国の門です。

それを見つけることができたなら、
旅の意味とその理由を知れる事でしょう。

多くの人が真実を悟れますように、心よりお祈りしております。

 

2013年10月20日のメッセージ

「狭い門から入れ」

狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、
その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
命にいたる門は狭く、その道は細い。
そして、それを見いだす者が少ない。
                 マタイ福音書 7:13

誰が言ったのか「赤信号みんなで渡れば怖くない」
と子供の頃聞いたのを思いだします。

また、駐車違反の切符を切られたおばさんが
「みんな、停めてるや~ん」と言うCMもありました。
私も、昔、同じ失敗をした記憶があります。(笑い)

日本人は特にみんながしているから私も良いのだと
相対的な判断で安心感を覚えます。
ブランドの服など流行りものは、みんなが持っているから、
みんなに自慢できるからと言う基準で欲しがります。

回りから相対的に判断する日本人ですが、
宗教だけは世界の3割以上が信じられているキリスト教では無いのです。
聖書を元にして信仰を持っているのがユダヤ教、イスラム教ですが、
それらを合わせると世界半数以上の人達が聖書の創造神を信仰しています。
世界の中で仏教はと言うと1割に満たないのですが、
日本人の宗教は仏教だと言います。これは、400年前に
徳川幕府が信仰拡大してきたキリスト教を排斥しようと
弾圧したからなのです。それに代わる宗教としてお寺を各地に
建てて、隠れキリシタンを見張り廃絶させたのです。
日本にお寺が多いのはそう言う背景があるからなのです。
この時代では、救いは確かに狭い門だったのです。

さて、この聖句の次に、「偽預言者に気をつけなさい」と教えてます。
滅びに向かう道というのは誰でも行きやすく、もっともらしい
正しい道のように見えるものです。誰もがその道に行きたくなるように
罠が仕掛けてあります。その上、権威や権力で脅される事もあります。

ネット社会でも詐欺にかかるほとんどの人は、こう言う甘い誘惑に
乗ってしまう人です。「うまい話には必ず裏がある」と思わないと
騙されてしまう人が多いです。楽してうまい儲け話に飛びつく人が
、騙されてしまいます。また、本物のように見せることがうまいです。
悪魔は天使に偽装するとありますから、その本性を見抜かなければ
なりません。その目的は野心的で金銭と情欲と名誉が絡んでいます。

神は偽者があるから、騙されないように注意しなさいと教えています。
みんながしているからと言って正しいとは限りません。よくよく調べて
見ると必ずしっぽが見えてきます。騙されないように慎重に
道を決めなければなりません。

騙されないようにするためには、欲望をこの地上の物ではなくて、
神の国の欲望を持つことなのです。それが、この世に勝つ力になります。

聖書はこう言います。

「富むことを願うのは悪の根である」Ⅰテモテ5:7~9と
「神の国を思い、この世に物に心奪われるな」コロサイ3:1
「まず神の国と義を求めなさい。天に宝を蓄えなさい」
とあります。               マタイ6:33

この世のものを排他的に生きるのでは無くて、
まず神の国を自分の最大の欲望にするのです。
永遠の命の約束と無尽蔵の富が与えられる約束を信じるのです。
死んで蘇った方が約束されたのですから、確実だと信じるのです。
そうすれば、この世の物は全て色あせて見えます。

私も、神を信じた時、お金がただの紙切れに見えるようになりました。
お金では、いのちは買えない。真の幸せも買えない。
この世の見えるものは、全部消えて無くなるものなのです。
天国ではお金で何も買えません。

この世で大儲けしようと切望している人は騙されることが多いのです。

また騙す側にもなります。これはもっと最悪ですね。

しかし、神が与えてくださる約束を確信する事で、
この世の誘惑にけして負けることはありません。
ましてや、この世においても、衣食住必要な物は皆与えてくださると
言うのですから、安心です。本当に素晴らしい事です。

信じますか?信じる人は幸いです。

私事ですが、私は神の国のために大阪市の公務員を辞めて献身しましたが、
今尚、必要な物を何不自由なく主が与えてくださっています。
大阪市を辞めるという決心は、私の狭き門、険しき道に入る事でした。
しかし、神様は必ず保証してくださると信じて踏み出した決心です。

その決心の道を歩く時、神はその人を祝福するのです。
しかし、多くの人は目先の安堵感だけを見て道を選びます。
私はどちらかと言えば石橋を叩いて渡る慎重なほうです。
ですが、神の国の約束を確信出来たのです。
神の愛を確信したのです。目で見えない神を、約束を信じる事が
出来ました。それは神の国を求めた結果なのです。

さて、昨今いじめの問題が絶えません。
多くの人は、自分を守る為に悪を是正するのです。
これは利己主義的な考えにしか成れない人間の罪の結果です。
善を行う時、人がどう思うか、人の目を気にしたらダメです。
神様は、人を愛する事と、神が喜ぶと思う道を選択することを、
人間に教えているのです。

「なすべき善を知りながら行わないのは罪である。」ヤコブ4:17
「神は喜んで施す人を愛してくださる。
また、そのためにその必要を備えてくださる」
Ⅱコリント9:6~8

しかし、神が用意してくださる神の国のため、自分の永遠の命のために
犠牲を払うなら、必ず今以上に恵みを与えてくださいます。

2つの道を選ぶ決心の時が重要です。そこが信仰になるわけです。

正しい道とは困難に見えても、神の戒めによって進む道。
神の御言葉を聞いて行うものになりなさい。(マタイ7:14)
人をさばくなと聞いたらさばくな、赦せと聞いたら赦せ、
求めよと聞けば求める。神の戒め通りに生きるとは、愛すること。

愛する事はイエス様の十字架がお手本です。
それは自分にも犠牲を求められます。
神の御言葉のゆえに困難が来たら逃げ出すような、
石地に蒔かれた種になってはいけないのです。(マタイ13:10)

神の愛を得た人は、恐れを取り除かれ、勇気が出てきます。
いじめられている人を見たら守ってあげる力がでます。
それはあなたにとって狭き門、細き険しい道になります。
しかし、その向こうに命があり、神の力があるのです。

自分の肉の命を活かすために生きるなら滅びます。(利己主義的な生き方)
しかし、自分の霊魂を活かそうとする時、肉体の縄目から開放されます。
それが狭き道を歩く力になるのです。ガラテヤ6:7

それは多くの人が行く道から一人反れて孤立するかも知れない道。
烏合の集になってはいけません。神の正しさを求めなければなりません。

そのために、親しい人から嫌われたり、苦しさが伴うかも知れません。
しかし、耐えうる力を神は必ずくださるのです。そして、必ず祝福されます。

神の祝福がありますように・・・

 

 

2013年10月13日のメッセージ

「神の国を体験する信仰」

そしてイエスは彼らに言われた、「全世界に出て行って、
 すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
 信じてバプテスマを受ける者は救われる。
 しかし、不信仰の者は罪に定められる。
 信じる者には、このようなしるしが伴う。
 すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、
 新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。
 また、毒を飲んでも、決して害を受けない。
 病人に手をおけば、いやされる」。
 主イエスは彼らに語り終ってから、
 天にあげられ、神の右にすわられた。
 弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。
 主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、
 その確かなことをお示しになった。
                 
                マルコ福音書16:15~20

神様は福音(神の国の救い)を伝えるのに
言葉だけでなく神の国の力がしるしとして
伴なうのだと約束されました。
2000年経った今でも、事実世界中で神の癒やしや
奇跡が起こっております。これは、信じようとするものに
伴うしるしであって、見えない神の力を体験する
目的にあります。病を癒やすのが目的では無くて、
その人が目で見えない神を知るためです。
知るというのは知識ではなくて、
経験体験のことなのです。

誰でもかれでも癒やされるのでは無くて、
神様を体験して知りたい、神が癒してくださると
信じ求めようとする心を見て神の癒やしが現れます。

癒やしの力は癒す人に不思議な力があるのではなくて、
癒される人の神を信じようとする心にあります。
そこに神の霊が働かれます。

ただ単に言葉だけの救いではなくて、
その言葉の確証たるしるしを神は現されるのです。

神の愛を知ることが最大の目的ですが、
神の国の力がこの世に臨むことの
事実を誰でも体験できるようにしてくださったのです。

聖書にはイエス様によってたくさんの癒しの事実が
書かれております。死人は蘇り、悪霊は追い出されます。
これが、現代の私達にも起こるのです。

私も、20年前に膝の痛み(炎症で水がたまっていた)があり、
教会に行けば神が癒してくださると信じ痛みを我慢して集会に
行きました。讃美をしている内に膝が温かい蒸しタオルで
覆われたように熱くなり、一瞬にして膝の痛みが無くなった
のです。この時にはびっくりしました。
ハレルヤ!これは癒やされた私しかわかりませんが、
明らかに瞬間に治ったのです。

またアトピー性皮膚炎の2歳の娘を教会に連れて来た
お母さんが信仰を持つようになって見る見る内に癒やされて
いきました。初めて見た時、全身、真っ赤で血だらけの
子でしたがその後、雪のように白い肌になっていました。
その子の名前は確かゆきちゃんでした。

神様が御言葉どおりに癒してくださるのだと決心し、
神様に近づくアクションを起こした時、神は、その人にしるし
を持って現れてくださるのです。懐疑的な人にはけして
現れませんが、信じ求めようとする心があれば癒されます。
その信仰は小さくても良いのです。
信じようとする心があれば良いのです。

これは聖書の持つほんとうの意味を知るための入り口になります。

皆さんも、神の国の力を体験する決心を持ってお近くの教会に
是非、求めてみてください。そして祈ってもらってください。
神の国の力を体験されますように。心からお勧めします。

 

 

 

2013年10月6日のメッセージ

式年遷宮

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先日伊勢神宮に置いて
神様(天照大神)のお引越しと言われる
式年遷宮が先日行われました。
右から左へと御神体(鏡)のお引越しですね。
20年に一度ということで大盛況ですね。

私も小さいころ伊勢の内宮に何度か行きましたが
五十鈴川の清らかさ、色とりどりの鯉達、
涼しい気配の木立の中を歩くのは心が清まる思いに
なった事を覚えております。

私が聖書の神様と日本の神様のスケールの違いを感じ
感動した御言葉がございます。

この世界と、その中にある万物とを造った神は、
天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない。
また、何か不足でもしておるかのように、
人の手によって仕えられる必要もない。
神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、
また、ひとりの人から、あらゆる民族を造り出して、
地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、
国土の境界を定めて下さったのである。
こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、
神を見いだせるようにして下さった。
事実、神はわれわれひとりびとりから
遠く離れておいでになるのではない。
われわれは神のうちに生き、動き、存在しているからである。
あなたがたのある詩人たちも言ったように、
/『われわれも、確かにその子孫である』。
このように、われわれは神の子孫なのであるから、
神たる者を、人間の技巧や空想で
金や銀や石などに彫り付けたものと同じと、
見なすべきではない。神は、このような無知の時代を、
これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、
みな悔い改めなければならないことを命じておられる。
神は、義をもってこの世界をさばくためその日を定め、
お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。
すなわち、このかたを死人の中からよみがえらせ、
その確証をすべての人に示されたのである」。

                   使徒行伝17:24 ~31

いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。
預言者が言っているとおりである、『主が仰せられる、/
どんな家をわたしのために建てるのか。
わたしのいこいの場所は、どれか。
天はわたしの王座、/地はわたしの足台である。
これは皆わたしの手が造ったものではないか』。

                   使徒行伝7:48 ~50

この言葉にはびっくりしました。日本人はやたらと御神体とか、
仏像、仏壇等の崇拝対象をつくりますが、聖書はそれをしては
ならないと記しております。それが「モーセの十戒」の一部です。

日本の神様が
“人が造った神様”に対して
“人を造った神様”である聖書の神様は理にかなった事だと
納得いたしました。

日本人の宗教観では、
人が亡くなれば誰でも仏様と言い神様的存在で
先祖崇拝をします。これは本来の仏教では無いのです。
人は死んでも人なのです。崇拝対象にはなりません。
多くの日本人は何も知らずに「私は仏教徒です」と言います。

仏教の教えはどこまでも、自力本願で輪廻転生からの解脱です。
涅槃という極楽浄土に行く目的で、自分で修行をすれば仏に成れる。
解脱した人を成仏したといいます。しかしこれは釈迦が思いついた
思想であり約束や保証はありません。

真逆にキリスト教は、
キリストの十字架ゆえに罪赦され神の国に行けると言う
他力本願であり、その約束と保証をされた神の愛を信じる信仰です。

仏教には信じれば解脱できるという約束も保証もありません。
釈迦を信じても、釈迦は救いの約束をしておらず、
釈迦も、仏になるなんて何の確証も無くなったかどうかも
分かりません。釈迦の教えで行くと、日本人は誰も仏に成れません。

けして仏教批判をしているのではありません。
仏教を知らずに仏教を信じている日本人に対しての疑問です。
勿論、宗教としての仏教の教えは大変素晴らしい教えだと思います。

それに比べて、神は御子をこの世に計画通りに送り十字架で死なれ、
私達の罪の代わりに死なれて、朽ち無い体に蘇り、聖霊を
贈る約束までなさり、信じるもの誰でも神の国に救うという
約束をしてくださったのです。それを確証付ける証拠が、
世界の約30%の人が信じているゆえんなのです。

人が造った宗教とは全く違う。
素晴らしい神様の愛と救いの計画に感謝いたします。