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過去のイベント

過去のイベント

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2015年2月22日

ナルドカフェディナーショー

DSC04279_R当教会のイベントではありませんが、滋賀県のクリスチャン仲間よりい歌とメッセージの依頼があり家族で頑張ってまいりました。素晴らしい時間となりました。ナルドカフェご利用のご近所のお客様が20名ぐらい集まり、琵琶湖ホテルの奥村シェフの最高のフレンチに舌鼓を打ちました。

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しっかりとお証をさせていただき、オリジナルの讃美や懐メロ等8曲うたってまいりました。

2014年12月21日

クリスマス礼拝&パーティー

DSC04094_R 一部礼拝はキャンドルサービスでスタートです。 DSC04111_R キャンドルは甥の結婚式で頂いたもので外国製バラの形でLEDで鮮やかに光ります。太一師による絵本で紙芝居「ヨセフとマリア」を熱演!多田姉妹はかわいいサンタファッションで特別に着こなして来られました。みんなにプレゼントを感謝です。DSC04117_R

 

 

2部の祝会とゲームで楽しみました!

黒ひげ危機一髪ゲームに連想ビンゴゲームです。

みんなたくさん景品を持って帰りました!

和代さんもパエリアやローストパーク腕によりをかけてふるまってくださいました。おいしかったです。

 

 

 

 

 

 

 

2014年9月16日

東 美知恵 第2回 招天記念礼拝

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母である美知恵姉妹が天に召され早2年目守口の自宅において親戚だけを集めての集会です。皆さん母のことを偲んでくださり心から感謝です。招天される前に録音したメッセージと写真を映し出しました。声が残っている事は本当に良いものです。ここに居るような感じがいたします。声は生きていた証です。皆様に神様の声も聞けるようにお祈りしていきたいです。

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2次会は「かごの屋」に移動し会食しました。ここはリーズナブルで雰囲気もよく料理も美味しかったです。これも感謝です。

 

 

 

 

 

2014年8月24日

隣にお住まいの藤原和子さんが救われました。

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(今年の春に桜を見に行き、そのときの写真)

今日、洗礼式をご自宅で行いました。
足が不自由なので、滴礼にて実施しました。

ご主人に先立たれて一人なので、いろいろ身の
回りのことさせていただき、お話する機会も多
くなり福音をお伝えしました。

もともと、ミッション系の学校出身で聖書の神
様について半信半疑でしたが、関心があったそ
うです。その時はシスターに半身半疑のままで
いいですよと言われ今日まできました。

救いの確信を伝えましたところ信じる決心をな
さいました。今まで確信のある伝道はされなか
ったそうです。

藤原和子さん、本当におめでとうございます。

今日この時を与えてくださり主に感謝です。

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2014年5月11日 リバイバル教会と野外礼拝

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くろんど池で野外礼拝を

合同でいたしました。

 

 

 

 

バーべキューは、美味しいです。

 

 

 

 

 

毛虫を無視できない状態です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2014年4月20日 イースター礼拝&手巻き寿司パーティー

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礼拝後

イースターエッグとキャンディーのつかみ取り、おみやげ用意しました。

大人でもつかみ取りは大喜びでした。

 

 

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手巻き寿司パーティー

小さな群れのなせる業です。

みんないろいろ持ち寄ってくださいました。太一先生は自分のところで作っている肉厚なおいしいシイタケ、私も安納芋のふかし、楽しかったです。

 

「恐れるな小さな群れよ、御国を下さることはあなた方の父の御こころです。」

のイエス様の御言葉を思い出しました。

 

 

 

 

 

 

2014年4月6日 佐保川お花見ランチ

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礼拝後に佐保川にお弁当を持って行きました。寒の戻りでちょっと寒かったけれど、1年に一度しか見れない豪華な桜は見事でした。桜は長い冬を後に、神様を讚美するかのごとく咲誇っていまいした。みんなこの花のように置かれた場所で咲けるようにお祈りします。

 

 

2013年6月16日 父の日感謝礼拝 パーティー

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お寿司とそうめんと鮎の塩焼き

美味しくいただきました。

みんな、それぞれ何か持ってきてくれるので感謝です。

 

 

お父さんにステテコをプレゼント。

ご機嫌のお父さん。

 

 

 

 

 

 

 

2013年5月12日 母の日感謝礼拝 手巻き寿司パーティー

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ささやかですが、教会からの母の日プレゼント。

子育てご苦労様です。ご機嫌のアリスさん

チュチュアンナの靴下です。

 

 

 

手巻き寿司パーティー

これは いいね!

 

 

 

 

 

みんな、美味しくいただきました。

用意してくれた、和代さんに感謝!

和代さんにも母の日なのにご奉仕

ありがとう!

 

 

 

 

 

2013年3月31日 イースター礼拝 焼肉パーティー

弟があかしと情熱的な特別讃美を捧げました。DSCF1078_R

 

 

 

 

 

 

 

 

■礼拝後みんなで、プルコギを野菜を巻いて食べました。コストコでプルコギを大量に買ってきました。美味しかったです。マシソヨ~。アリスさんもお手製の春巻き美味しかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年2月27日今日は礼拝後にたこ焼きパーティー

たこ焼きはみんな大好き!わいわいみんなで協同作業です!

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♡キリストの愛をあなたにも♡

今月のメッセージ2014年9月

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「戦争はあってはならないんです。」

戦争に正論はありません。
自衛の為の正当防衛、抑止力ゆえの武器所有も
簡単に戦争に結びつきます。

結局、武器を投げ出して、いつも白旗を揚げて
いる人が戦争にならないのです。

真理であるイエス様の教えはこうです。

「悪人に手向かうな、
 敵を愛し迫害するもののために祈れ!」
              マタイ伝5章

と仰せになりました。

もし誰かが嫌な事をしてきたら、
何もせずに殺されるのを黙って耐えろ
とは言っておられないのです。

さらに、
「愛を持って、相手の為に祈ってやれ!」
と言われるのです。

これは非常に難しい事です。
かく言う私も同じです。
それでも、感情はそうはいけません。
感情で行動すれば争いに結びつくのです。
感情ではなくて神の言葉に従おうと
することが信仰になります。

その信仰の本質は、
もし敵から不当にも害を被り、さらに
命まで脅かされた場合、神が必ず保障して
くださると言う安心から来るものです。
それは、神の本質は愛だからです。
神は私を愛してくださっていると言う
確信の故です。
愛する者たちよ。
 自分で復讐をしないで、
むしろ、神の怒りに任せなさい。
何故なら、
 「主が言われる。
 復讐は、わたしのする事である。
わたし自身が報復する。」
と書いてあるからである。

       ローマ人への手紙 12:19
それは、たとえ自分が不当のゆえに死んだ
としても必ず、永遠の命、よみがえりの命
を保障してくださると言う神の約束を信じる
信仰から来ます。

これは、神から送られる聖霊様によって可能です。

キリストも不当の故に十字架につけられました。
この不当がなされたのは高慢から来るものでした。
それは、神様の救いの計画を実行する
ための梃子になったのです。
神様の計画と目的を行うために、
すべての不当を甘んじて受け入れ、
キリストが死ぬことによって達成しました。

キリストの死は、私たちの罪悪に赦しを与える
身代わりとなったのです。
キリストの死は無駄死にでは無かったのです。

それゆえ、神はキリストを蘇らせ、復活させて
私たちにも蘇るのだと宣言し、約束し、実例を
見せたのです。

この故に世界中の多くの人が神を信じています。

残念ながら、世界の多くの宗教者は、
神様の言葉を真剣に捕らえていません。
感情のままに生きています。

聖書に
「自分の命を救おうとするものはそれを失う」
とあります。自分の正当防衛は罪悪につながる
危険があるのです。
しかし、神様の裁きは正しく、防衛は絶対なのです。
自分の防衛を神様に委ねる事が正しいのです。

この世界に働く悪魔は人間のプライドや感情を
利用して人間をコントロールします。

これに打ち勝つなら平和を来たらせます。
感情やプライドで生きるのでは無く神の言葉によって
生きれば平和を見ることができるのです。

もう一度言います。
「手向かわず、愛を持って、相手の為に祈れ!」

聖書は人間の正しい取り扱い説明書です。
誤った読み方をしたり、無視して生きれば
使い方を間違って壊れていきます。

しかし、神様の計画は未来に戦争が起こる事として、
戦争をやめさせることをしません。

その理由は人間が心から神を信頼し、
神の言葉によって生きることが正しいのだと
悟るためです。

悪を放置するのは、神の愛を信じることがいかに
大切かであるかを悟らせるためです。

聖書は、神を無視して自分の思いで生きることを
「罪」と言います。

その罪の結果、自分の感情やプライドで生きる結果
争いが起こります。しかし、神はそれをなすがまま
にされているのは、本当の神の国を完成させるため
のテスト期間であるからです。

神様が争いや問題をそのままされるのは、
本物と偽者をはっきりさせる為の手段だと言えます。

永遠の命の約束を受け入れた人はこれを悟ることが
できます。そうすれば、この世の問題は何の問題
でもなくなるのです。

戦争が実際にあろうとも、

イエス様を信じる人はこの世の勝利者になるのです。

世界的な戦争だけではありません。

日常の隣人愛が大切なのです。そこから世界平和が生まれます。

神を愛するとは、神の戒め(相互愛)を守ること、

世に勝つものは誰か?
イエスキリストを神の子と信じる者です。

           ヨハネ第一の手紙5:5

 

♡キリストの愛をあなたにも♡

今月のメッセージ2014年8月

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虹の約束

今朝、お花に水をやっていたら、わずかなお日様に
虹が出てきましたのでパチリ!小さいけれど虹!

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ノアの箱舟の時、世界を飲み込む洪水がありました。
聖書以外のいくつかの古事記や口伝伝承に大洪水の
話が残されています。箱舟も発見されたそうです。

神様はその時万物更新を実行されたとあります。
ノアとその妻、息子夫婦たち、多くの動物がつがい
で箱舟に乗り存続されました。私達もそのノアの子
孫になります。それ以後この虹が現れるようになっ
たのです。虹を見て再び洪水は起こらないと約束さ
れ、虹は新しく始まる門出のしるしになりました。

しかし今、世界的な洪水は起こらないにしてもいろ
んなところで大雨の被害が相次いであります。災害
にあわれた方には本当に心が痛みます。被災者の方
々に早く平安が訪れるように祈るばかりです。

さてノアの箱舟が書かれた聖書には、蘇ったイエス
キリストが再びこの世に再臨される約束があります。
それは、ノアの箱舟の時のようであると言ってます。
ノアは多くの人に洪水がある事を告げ、船に乗るよ
うに勧めたことでしょう。しかし、ノアを嘲笑い誰
も信じようとしなかったのです。イエスキリストが
再臨されるときもそのようであろうと聖書は語って
おります。その時、万物が更に更新されるという事
が書かれています。キリストを信じて救いの切符を
しっかりと受け取られるようにお勧めします。イエ
スキリストと言う救いの箱舟に乗るだけでその人は
新しくされます。自分の存在価値理由を知ります。

180度人生が変わります。聖書の神様の約束です。

 

 

♡キリストの愛をあなたにも♡

今月のメッセージ2014年6月

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2014年6月14日

聖書は誤り無い事実。

聖書は、造り主イエスキリストを通しての
世界中の人々への神様の救いの約束です。

信じない人は死んだ後その霊魂は地獄(火の
硫黄の燃える池)へ行きます。
しかし、イエスキリストの十字架を通して神
の愛を受け入れる人は神の国に入れられ、神
の子となり、永遠の命が保証されます。

信じる人は幸いです。信じない人は不幸です。
「神様が愛なら何故信じる人だけで、信じな
い人を地獄に落とすの?」 「そんなの神様、
勝ってすぎる!そんな神様なら信じない!」
と実は私も最初はそう言ったのです。そう言
いたい気持ちは良く分かります。

ですが、人は神によって造られました。
私達人間は、人を造った神に反論する身分で
は無いのです。

たとえば、人が造ったロボットが人の言う事を
聞かずに勝手な事をし、人に文句を言いだした
ら、そのロボットはどうなるのでしょう。処分
されるか、修復されて当然なのです。

ましてや、人間はロボットで無くそれぞれに自
由意志が与えられています。神を否定するのも、
肯定するのも自由なのです。神様はイエスキリ
ストを通して人に愛を示されました。その愛を
通して神様を信じ帰って来る事を忍耐して待っ
ておられるのです。

否定するのも自由ですが、その結末は地獄と言
う処分になります。誤りの無い聖書にそのよう
に書いております。

地獄と言う「処分」は、神様の本意ではありま
せん。 神様は修復を望んでおられます。
地獄と言う処分になるのは人間が選んだ結果な
のです。最初に造られた人間アダムが、エデン
の園で違反し創造主を信頼せずに自分の考えで
勝手に生きる故、罪が生じたのです。この「罪」
と約されたギリシャ語の言語は「的外れ」と言
う意味があります。神によって造られた人間が、
絶対創造者である神を無視して、 生きる事は
「的外れ」=「罪」であるのです。

この「的外れ」はもう一つの言い方で「誤解」
と言う言い方が適当かも知れません。神様はそ
の「誤解」を修復されるために、 御子イエス
キリストの十字架の業を通して、 神がいかに
人を愛しておられるかを現してくださったので
。「友のために命を捨てる事これ以上大きな
愛は無いとイエスキリストは言われました。
2000年前、聖書の預言どおりそれを現実に表わ
されたのです。この神様が自ら命を架けて誤解
を解く行為。これが神の救いなのです。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになっ
  たほどに、世を愛された。
  それは御子を信じる者が、ひとりとして滅
  びることなく、  永遠のいのちを持つため
  である。神が御子を世に遣わされたのは、
   世をさばくためではなく、御子によって世
   が救われるためである。御子を信じる者は
   さばかれない。」
       ヨハネによる福音書3:16 ~19

そこで、友人や、親族、愛する人が地獄に落と
される事を知りながら黙って居られないのが私
の本当の心なのです。

分かれ道があって、皆が地獄の方に向かって歩
いていたと知るならあなたはどうしますか?な
んとしてもそっちに行ってはダメだと言うのは
ありませんでしょうか?それが普通ですよね。
愛する友に、親に、子供に、嫌な事言われよう
が馬鹿にされようが必死に伝えるのが私の十字
架になります。
イエス様も十字架に架かる時、全ての人がイエス様
から離れ去りました。しかし、その2000年後、
世界3分の一20億の人がイエス様を信じたのです。
日本人はいまだその事実を知りません。何とか
お伝えしたいと思っています。

幸いにも、私は皆さんより先に主イエス様とお
会いしました。

これを伝えると宗教勧誘だと思われて嫌がられ
て嫌われるかも知れません。嫌われても伝える
のは、その人を本当に愛しているからなのです。

私の損得勘定はまったくありません。教会の信
徒を増やしたいから伝えているのではありませ
ん。他の教会でも行ってくれても良いからただ
ただ地獄に行って欲しくない。救われて欲しい
のです。
宗教団体に入るとか、教会員になるとかでは救
われません。救いは得心すればその場で救われ
ます。

聖書の話が本当だと知れば私の言ってる事がい
つか必ず分かる日が来ると思います。みんなが
天国に行ける様に心から願っております。

 

 

 

 

2014年6月

 

私の救われたいきさつ       東 たつお

私が、救われたきっかけは教会に通うように
なった親友の誘いでした。娘のアトピーが神
様によって癒されたと言うのです。親友が言
うには神が居られると言う事でした。それだ
けでなく、イエスキリストが明日にでも再臨
されるかも知れないと言う話でした。死んだ
後の霊魂が存在する事、すべての人に神の裁
きがあり、十字架に架けられたイエスキリス
トを信じるなら救われ、信じないと地獄に行
くと言うことを聞かされました。

友の話を聞いて、神が本当に居られるならそ
の事実を知りたいと思うようになり、神様が
居られるなら私も体験をしたいと思うように
なり、祈るようになりました。「この鈍感な
私にも神様を分かるようにしてください」と
言う単純明快な願いでした。確信が無いのに
教会へ毎週通う事は苦痛でたまらないので、
聖書が真実なら行かなくてはならないと思わ
されました。

1ヶ月ほど毎日祈っていると言葉がちゃんと
しゃべれず舌がもつれて呪文見たいに何を言
っているのか分からなくなってきたのです。
後でその親友に聞くと「異言」だと教えてく
れました。聖書に書いているとおりに異言が
出てきたのです。2000年前の出来事が今も私
に聖霊の賜物が臨んだのです。その一週間後
煙草を止めたいと思っていた私の祈りも聞か
れました、吸っても吸っても美味しくなく、
逆に気分が悪くなるのです。1週間にも渡っ
て吸っても美味しくなく気分が悪くなるのだ
になったのであっさり止める事が出来たので
す。3年間も止めようとしても止められなかっ
たのに、1週間で簡単に止めれたのです。こ
れは不思議な事でした。

ある時、ひざの炎症で水がたまってしまった
のですが病院にいく前に教会に行こうと決心
しました。教会では祈祷会が行われておりま
したが、そこで讃美しているうちに瞬間に癒
されてしまったのです。さっきまで曲げる事
出来なかった膝で屈伸しても全く痛くなく治
ってしまったのです。うれしさのあまり神様
感謝しますと叫んでしまいました。

こんな奇跡を体験した私でしたが、洗礼を受
けた時はあまり、確信が無いままにただ、地
獄へ行きたくない。天国に行きたいと言う思
いを信じて決心し、受けていました。

その後、教会の玄関に十字架を背負いゴルゴ
ダの丘に向かうイエスキリストの大きな絵画
がありましたが、それを見ていると突然細い
声で、私の心に囁くのです。「お前のために
も、私は苦しんだのだ」その声を聞いた瞬間
私は、嬉しくて嬉しくて鳥肌が立つのを感じ
ながら、ただ涙がこぼれて止まらなくて呆然
と立ち尽くしていました。それまで、救いの
確信や神様の愛が自分にあるかどうかなどた
だ自分で信じていただけなのですが、この時
確信したのです。イエス様は私をも愛してく
ださっている私の神様である事を。

それ以来、私は神様を本当の父として知り、
神の子としての自分に誇りを持てるようにな
ったのです。私の肉の両親にもはっきり言い
ました。「僕をこの世に生んでくれてありが
とう」。それは、この世で価値の無い自分の
存在が価値ある存在として新しく生まれ変わ
った自分を知ったからなのです。天国を下さ
る約束がより明快になり、人生の目標が死で
無く、永遠の命であるとはっきりと見えたの
です。聖霊が私にその確信を得させてくださ
ったのです。幼いころ私は劣等感が強く自分
に自信が持てずに自分の存在に泣いた事があ
り、生まれてきた事を呪った日もあったから
なのです。そして父の愛に触れ、愛する事の
必要を知ったのです。神様を知る事ができた
喜びは誰にも奪われないのです。

私を見つけ出してくださった、父なる神に心
から感謝しています。

♡キリストの愛をあなたにも♡

今週のメッセージ2014年5月

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2014年5月18日

「信仰とは」

 

さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信
し、まだ見ていない事実を確認することで
ある。
          へブル人への手紙11:1

 
先日、教会員の皆さんに質問してみました。

あなたの「信仰」って何ですか?

いきなりは切羽詰るようです。皆さんはいか
がでしょうか?まだ信仰を知らない人に信仰
って何ですか?と聞かれたときに答えること
が出来るでしょうか?信仰を確実に持ってお
られる方は必ず答えることが出来ます。

信仰を説明できる人はその信仰を持っておら
れる方で、答えの詰まる人は信仰を持ってい
ないのです。少々厳しいですがこれは非常に
大切なことなのです。なぜなら信仰が無いと
救われないからです。そして信仰があるかど
うか自分で確認出来なければならないと思い
ます。

とりあえず、どんな答えでも良いから答えら
れる人になってほしいと牧師としては願うわ
けです。

もっとも、信仰とは聖霊の賜物の一つで、神
様からのプレゼントです。ですので、人間の
私たちの内から発生するものでは無いのです。
これが理解できると言う事は確実に聖霊様の
力を受けていると言うことになります。

人間の信念(自分で神を信じようとする心)→
信仰(神様から送られる信じる力)→確信(確認
出来た心)という流れになり、まず信念からです

もっと簡単に言うと、求めるなら神の霊によって
神の愛を私たちの心に注がれて、神の思いを
感じる事が出来るようになります。

そして、希望は失望に終ることはない。なぜ
なら、わたしたちに賜わっている聖霊によっ
て、神の愛がわたしたちの心に注がれている
からである。    
          ローマ人への手紙 5:5

では、もう少し詳しく説明しますと・・

「神との信頼関係」だとお伝えします。

その関係を3っつお伝えします。

①神は私たちの創造者かつ絶対者かつ命の主
権者です。私たちは被造物であると言う存
在で創造者無しでは存在しない絶対関係
す。

②神は私たちの父であり、私たちを子として
愛しておられる親子関係である。

③神は私たちへの約束は必ず守られる方であ
り、私たちに語られた言葉(聖書)に責任
を持たれて実行されるイエスキリストを通
しての契約関係です。

この3つの関係で、神と自分の関係を理解し
アイデンテティーの確立を(自分の存在を確
立)することなのです。

私達人間は神の意思によって創造されました。
ゆえに神を無視して生きる事の出来る存在で
は無く神に従うように造られたのです。

さらに神は私たちを奴隷やロボットの様に造
らず神に愛される子として、神の法(互いに
愛する)によって生きること。神が私たちに
与えようとする無尽蔵の富の約束を希望とし
て、自分の置かれた立場をわきまえることが
信仰だと考えるのです。

人間は、神を無視して自分の考えで生きよう
とする事で罪が入りました。最初の人アダム
は自己中心に生きようとして神の言葉を無視
し罪を犯しました。私たちの罪の根本は自己
中心なのです。そして、アダムの子カインは
人類始めての殺人を犯します。弟アベルを殺
したのです。これは「嫉妬」のゆえの憎しみ
なのです。それも自己中心性から来るもので
す。それを神中心にすることが信仰になりま
す。

神の法は、
「神を愛し、互いに愛し合いなさい」です。

この法を守りたいと思う心がこの罪の原因で
ある自己中心性を砕く事になります。その神
の法に喜んで従うことが信仰の結果なのです。

創造主なる神の愛があまりに素晴らしいので
喜んで神様に従おうとする事が正しい信仰で
あり、地獄で命が落とされるから恐怖のゆえ
に従うのではありません。

神はけして私を悪いようにされない。私を愛
してくださっていると信頼しどんなにつらい
事があっても最期にはすべて益にしてくださ
るのだと信頼することなのです。

友達を信頼するとはどんな感じでしょう?そ
の友達が影で自分の悪口を言っている事が分
かったらどうでしょう?そんな友達を信じれ
ませんよね。私は逆に影で言わず面と向かっ
て言ってくれるほうが友として信頼できます。
(誤解を招いていることが多いからです。)
影で他人に友の悪口を言う友は信頼できない
です。しかし神は私たちのことを誰かに悪口
言う方ではありません。私たちに自分の愛を
知ってもらいたいと願っておらる方なのです。

旧約聖書に出てくるヨブの信仰をお手本にす
れば理解できるでしょう。最期には神はヨブ
に無条件の信仰を教えるのです。自分の功績
ではなく神の一方的な愛を受ける事が大きな
恵みと悟らされるのです。

神は、私たちに愛を示されました。どんな愛
でしょうか?命を掛けた愛です。私たちの代
わりに神の御子イエスキリストが命を落とし
てくださった。その命と引き換えに私達の自
己中心性の罪を赦されたのです。そこまでし
て私たちへの愛をこの世で示されたのです。
神の一方的な愛ですが、自分の弱さを知ると
きに、この愛を心から受け入れることが出来
るのです。それが神様の計画です。自己中心
によるおごり高ぶりが神の愛を理解できずそ
の人の滅びを招くことになります。

その神の愛を受け取ることが、イエスキリス
トを信じる信仰と言うことになります。

世界中の人々が神の愛を知れますように心か
ら祈願いたします。

 

 

 

2014年5月4日

「真理が私を自由にする

そして、あなたがたは真理を知り、
   真理はあなたがたを自由にします。

              ヨハネによる福音書8:32

私が教会に行き始めたころは、毎日曜日に教会に行かなけ
ればならない事に抵抗があり、休日の自由が奪われて縛ら
れるのが正直いやでした。しかし、本当に神がおられるの
なら、地獄へなんか行きたくないし、そんなこと言ってお
られないとも考えました。それは不安な日々でしたが、信
じて決心したときには心は一気に平安になり自由になりま
した。日曜日に教会へ行くのが楽しくなったのです。本当
の神様をもっともっと知りたいと思ったのです。それは教
会に集わされているのでは無くて、自分から行きたくなっ
たのです。周りの人は教会に行く私を理解できないでしょ
う。教会に行く価値を知らないのですから仕方が無いので
す。私も以前はそうでした。でも教会に宝が眠っていると
分かれば誰でも探しに行きたくなります。やらされている
のでは無くて好きでやっているのです。それが自由です。

そして、自由と言う事は、開放されると言う意味でありま
すが、好き勝手に行動するとか、誰にも縛られないと言う
自由は本当の自由ではありません。好きに生きる事は逆に
孤独になります。孤独は不安であり、誰かに愛されること
を求めます。私たちはこの世のいろんな物に頼っていきま
すが、正しい愛により頼まなければ歪んだ関係を強いられ
てしまう事が多いです。それは本当の自由ではありません。

また、みんなが好き勝手に行動すると、秩序が保てなくな
ります。野球を楽しくするためにはそこにはルールを守る
必要があります。また、安心してドライブするためには道
路交通法をすべての人が守らないと、不安で爽快に走る事
はできません。本当の自由は「平安である」と言う心の在
り方のことです。別の言い方で「幸福感の中にある」とい
う言い方でも良いと思います。

自由とは、好き放題に何をしても良いという事ではないの
です。皆がルールを守ることが前提条件にあります。法律
があり、違反すれば罰則があると言う事で、ルールを守る
事はお互いの安心感を与えるのです。法律というのは平和
を維持するためのルールなのです。

真理とは「絶対に変わらない本当の事」と言う意味です。
真理と言うと、社会を震撼させたあのカルト集団が使って
ましたが、とんでもない事です。

キリスト教は宗教でなく、事実に基づく神との契約です。

そこでイエス様はヨハネの福音書14:6で

「私は道であり、真理であり、命である。誰でも私によら
   ないでは父のみもとに行くことは出来ない」

と断言されました。真理に従えば命があるというのですが、
真理とはイエス様自身でありのその御言葉になります。そ
れが、神様の新しい法律です。その戒めは「神を愛し、互
いに愛し合うことである」と言うルールです。非常に抽象
的な戒めですがこれがあらゆる法律の元となります。

人間は相手が愛してくれていると知ったなら、その関係は
平安です。しかし、愛していないと疑うなら、平安はあり
ません。しかし、みんながイエス様の御言葉を守ろうとす
るなら、平安が生まれるのです。ですので、真理(イエス
様の御言葉)に従えば平安を得ると言うことになるのです。

まずは、イエスキリストを通して神の愛を受け止める必要
があります。これが真理を知る事になります。

始めは教会に行くきっかけは「地獄があるなら行きたくな
い」このような恐怖心から神を求めるようになりました。モ
ーセも最初は神を恐れたのです。しかし、聖書を学んでい
くうちに神が私たちを愛しておられると事を知り、聖霊様
によってその思いが伝わってくるのです。そうすれば、神
に対しては怖さは無くなり、愛されていることを知り、恐
怖心から開放されるのです。全能の無敵の神が私たちの味
方であるなら、誰が私を滅ばす事が出来るでしょうか。

聖書の御言葉はこう言ってます。

もし、神がわたしたちの味方であるなら、
だれがわたしたちに敵し得ようか。
ご自身の御子をさえ惜しまないで、
わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、
どうして、御子のみならず万物をも賜わらないことが
あろうか。だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか。
神は彼らを義とされるのである。
だれが、わたしたちを罪に定めるのか。
キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、
神の右に座し、また、わたしたちのために
とりなして下さるのである。
だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。
患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。
「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、
  ほふられる羊のように見られている」
と書いてあるとおりである。
しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、
わたしたちは、これらすべての事において
勝ち得て余りがある。
わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、
現在のものも将来のものも、力あるものも、
高いものも深いものも、その他どんな被造物も、
わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、
わたしたちを引き離すことはできないのである。
             ローマ人への手紙8:31~39

全治全能の創造者としての神が私たちの見方であり、
命を賭けて愛してくださる私たちの「お父さん」です。

全知全能のお父さんに従うことで命が保証されると言うのなら
私たちが何かに恐れて不安になる事があるでしょうか?

私たちはこの真理(真の神)に従うなら互いに愛する事
の大切さを知り本当の平安が支配し本当の自由を得るの
です。

父が赦されたとそうして愛してくれていると言うなら、誰もあな
たを罪に定めることは出来ないのです。それが本当の自由
であり、平安であると言うことです。
どうぞ、真理(イエスキリスト)によって神を知り真の自由を獲得
してください。そうすればあなたはこの世でまったく怯え
て、恐れて生きる必要がなくなります。

この世の中で自由となり、勝利者となれるからです。

それが、神の愛を知った者の素晴らしい人生の力となります!

 

 

 

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