三位一体(トリニティー)とは、御父と御子(イエスキリスト)と聖霊なる神が3つの存在を通して一つの神が働き存在される。と言うことなのですが、聖書には三位一体と言う言葉はありません。聖書の研究をした神学者が見出した理論です。                                                                                                                       神学校や、あらゆる書物で学ぶ機会がありましたがなかなか明快に理解できる説明がありませんでした。また、イエス=父なる神=精霊だとはっきりいう人もあります。真逆にエホバの証人さんはイエスは人であって神では無いと言います。これらは間違いですが、御父=神、イエス様=神、聖霊=神であるならOKになります。                                                                                                                                  父なる神はある計画、目的、意思の元に、御子イエスと聖霊様を用意され、大元の存在として目で見えない触れることのできない得体の知れない大きい方です。御子は、父の御意思によりこの天地万物を創造され、御父の手足となり活動される方で十字架に架かるために肉体を所有されるためにこの世にその姿を現された救い主なる神です。聖霊は私たちの助け主となるために御父から送られる神の御霊なのです。 神はひとりであるけれどその働き、役目の違いで父なる神が用意されたシステムなのです。                                                                                 わかりやすく言いますと。太陽2011.5.18十六夜月と月と星の関係で見るとわかりやすいです。太陽は光の元なる父です。太陽は眩しくて直視できない存在です。月は闇夜を照らす小さな光ですが、月を見ている言いながら実は太陽の光の反射を見ているんですね。これがイエスキリストです。その周りの星ぼしたちは闇夜の中で太陽の反射できらめく存在で、聖霊を受けた私たちクリスチャンになります。(ピリピ2:15)(この写真は2011年5月18日に自宅より500mmで撮りました。少し黄色に着色してます。)            地球上は昼であっても宇宙に出れば24時間闇夜です。昼は太陽が直視できません。聖書では天国においては神様自身が私たちを照らす光だと言ってます。夜と言う暗い時が実はこの世の現実で、昼間という存在は太陽と地球独自の自然環境で明るいだけであって、特別な環境なのです。本来昼間と言う青空の世界は偽物であって演出された舞台のようなものです。現実は暗闇なのです。暗闇の中で見える月を見て私たちは太陽を見ていることになります。暗闇という現実のこの世で罪悪が蠢き悪魔が君臨している中、現実の夜という環境で月を見る事が正しいということです。イエスさまは「私を見たものは父を見たのである。何故私たちに父を示せというのか?」とこのようにヨハネの福音書で弟子ピリポに告げられました。(ヨハネ福音書14:9)

この説明方法を他に聞いたことがありませんが、これが的確かと私は説明しております。 あるエホバの証人さんに説明したことがありますが、これで理解していただけました。神さまの名前はこの世で明らかにされているのはイエス(Jesus)だけです。旧約聖書中のYHWHの四字神名を解き明かしたとしても、救いの名はイエスキリストこれ以外には無いのです。                                                                                                            イエスさまは神の本質の真の姿であり、(へブル1:3) 神を見たものは誰もいない、ただ父のふところにある一人子なる神だけが、神を現したのである。(ヨハネ1:18)                                                                                                 イエスは言われた、                                                      「私が道であり真理であり命です。誰でも私によらないでは、父のみもとに行くことはできないのである。」                                                 (ヨハネの福音書14:6)